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最高裁判所第一小法廷 平成4年(行ツ)93号 判決

上告人

八木言彦

被上告人

横須賀労働基準監督署長松島尉浩

右指定代理人

古川英俊

右当事者間の東京高等裁判所平成三年(行コ)第一一〇号労災補償費不支給処分取消請求事件について、同裁判所が平成四年二月一七日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断及び措置は、原判決挙示の証拠関係及び記録に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、違憲をいう点を含め、原判決を正解せず又は独自の見解に基づいて原判決を非難するものにすぎず、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 三好達 裁判官 大堀誠一 裁判官 橋元四郎平 裁判官 味村治 裁判官 小野幹雄)

(平成四年(行ツ)第九三号 上告人 八木言彦)

上告人の上告理由

一 概要

上告人は、日産自動車株式会社人事部が実施した「新入社員合宿訓練(以下「合宿訓練」という。)」と称する社員研修を職務として受講したところ、合宿訓練中の体験がもとで精神的に不調となり、合宿訓練後に精神科医の診療を受けた者である。診断結果は診察時には神経症であったが、その後診断書においては「神経症の疑い」であり、確定された疾病ではないが、上告人は、合宿訓練における疾病(以下「本件疾病」という。)を請求原因として被上告人に対して労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)上の救済を申立てたのであるが、被上告人は、業務上の疾病ではないとして、保険給付不支給の決定をしたもので、本件は当該処分の取り消しを求める訴訟である。

本件合宿訓練は、小集団において実験的に展開される人間関係を利用し、人間関係の仕組みを体験的に学習させるトレーニングである。このようなトレーニングは体験学習や実験室体験等と呼ばれ、エンカウンターグループ法や感受性訓練法等の各種のトレーニング法が考案されており、企業の組織開発や精神医療に応用されている。健康な人を対象とした自己概念の確立のためのトレーニングと、医療を目的としたトレーニングを総称して集団精神療法という(〈証拠略〉)。「集団精神療法とは、集団のメンバー個々の人格と行動の比較的すみやかな改善をもたらすことを、第一次的の目的として、フォーマルに組織され、保護された集団の中で、指定された、あるいは統制された集団相互作用により生ずる過程である(鑑定申出書に添付された資料)。」と定義されている。

合宿訓練等のトレーニングは、自分が他人にどのように認知されているかを常々知りたいと希望する人(対人志向的人物)に有効なトレーニングであり、学生、社会人、健康な人、悩みを持つ人、いずれの人に限らず実施されており、凝集性の高い集団に所属する体験により、受講者に精神的安定をもたらし、対人関係において改善された行動が身に付く等、有益なトレーニングであるとされるが、一方において、あるタイプの人(課題志向的人物、新たな行動を試す人物)にとっては、かえって有害であることが報告されており、一部の研究者からは、共産主義のようであると評されている。すなわち、合宿訓練等のトレーニングは、人間関係の仕組みを科学的に解明し、得られた知識に基づき人間関係を科学的に管理し、統制しようとするものだからである。本件疾病はこのような人間関係の実験場において発生した疾病である(「小集団活動と人格変容」(北大路書房)、p29、p70、p72、p73。〈証拠略〉、p183。)。

二 上告理由

第一点 合宿訓練前の心理状態について

控訴裁判所の判決理由の概要は次の通りと認識される(判決書第五丁裏)。

一 本件疾病を神経症と仮定する。

一 合宿訓練は神経症発生の単なる誘因である。

一 神経症発生の主原因は上告人の性格、あるいは、合宿訓練受講前の心理状態が主原因。

一 本件疾病と業務である合宿訓練との間に相当因果関係が認められない。

「合宿訓練受講前の心理状態が主原因」とは意味不明であるが、おおよその意味は、「合宿訓練前の心理状態は自然治癒は不可能な疾病発生の直前の状態であり、合宿訓練の受講により完全な疾病状態に移行した」と解される。当該認定は上告人の自白を根拠とするが、「合宿訓練前には軽い鬱状態であった」との供述のみから「合宿訓練受講前の心理状態が主原因」と結論するのは極端な飛躍であり、判決理由に不備がある(民事訴訟法第三九五条第一項六号)。また、上告人の自白を採用するのであれば、上告人に有利な供述や陳述をも採用すべきであり、都合の良い供述のみを採用するのは不合理で、採証法則に反している。

そこで、判決理由の基本的な内容は「上告人の性格が主原因で、合宿訓練は単なる誘因。」と認識されるため、以降、当該判決理由を中心にして上告の理由を申し述べることとする。

第二点 「性格が主因」との判決理由は日本国憲法前文第二段の理念に反する

日本国憲法(以下「憲法」という。)前文第二段において、平和を維持するためには専制、隷従、圧迫、偏狭を無くするように努める必要があるとし、国家間の戦争は相手国や相手国民に対する偏狭な認知により発生するものであることを明らかにしている。これと同様に、人間どうしの争いも相手人物に対する偏狭な認知により発生するのであろう。日本国民は斉一性の高い国民であり、異質な者に敏感に反応し、これを排除しようとする傾向が強いとされるが、異質であるか否かは相対的なもので、主観である。控訴裁判所は、本件の相当因果関係の判断は客観的なものであると判示するが(〈証拠略〉)、「性格が主因」との判断は優越的あるいは多数者の立場からの主観であり、憲法前文第二段における「偏狭」以外の何ものでもない。客観的な判断とは、たとえ概略的であろうとも、数値を導き出せるものであり、数値をもって表現できるものである。「性格が主因」との判断は、神経症の発生の寄与率において、性格の寄与率が五〇パーセントを越えている趣旨の判断であるが、五〇パーセントの地点における判別が可能であるなら、他のいずれの地点においても判別は可能であり、五〇パーセントの地点においてのみ判別が可能であるとすれば、欺満的である。

第三点 「性格が主因」の判決理由は憲法第一三条及び同法第一四条第一項の規定に抵触する

(一) 「個人として尊重する」について

憲法第一三条における「生命、自由及び幸福追及に対する国民の権利」を労災保険法に対比させてみると、生命とは身体的な健康に該当し、自由とは精神的な健康に該当し、幸福追及は身体的及び精神的な健康の維持、回復を追及することに該当すると解される。業務上の事由(労災保険法第一条)に限らず、業務により労働者が神経症となることは精神的な健康を害し、自由や幸福追及に対する国民の権利の侵害であるが、健康が害される事以上に大きい不利益は、その者の職場における人間関係が壊れることによる不利益である。現に、上告人の上司であった者は、上告人が精神科医の診療を受けた以降、上告人の動行について尋ね歩く等、上告人の職場における人間関係は以前とは異質なものに変わり(〈証拠略〉)、上告人の退職の一因となっている。また、再就職等の社会的関係において現実に差別が存在している。すなわち、国民の一人一人が持つ人間関係は、その者が自由で幸福な個人生活を送る上での無形の財産と解し得る。

労働災害について、労災保険法上の請求は、原状の回復を実現内容とした、自由や幸福追及に対する権利行使であると解される。右権利はすべての国民が有するものであり、特定人物の国民が排除されるべき性質の権利とは解し得ない。ところが、控訴裁判所の判示によると、右特定人物とは「性格が主因」と認定される人物であり、具体的には、「真面目、几帳面、おとなしくて線が細く、周囲の目を気にし、自分から前に出なく、冗談を真に受ける」ごとき人物である(〈証拠略〉)。右性格を具有する特定人物は労災保険法上、救済されず、右性格を具有しない人物に対して救済がなされるとすると、司法機関が国民の性格を間接的に管理し、統制することになり、「真面目、几帳面、おとなしく線が細い等々」の性格は無くするように国民は努めるべきである旨を間接的に要求するものである。すなわち、「性格が主因」との判決理由は、司法機関が国民に対して価値観を提示するものであり、憲法一三条の趣旨に違背するものである。

(二) 「法の下に平等」について

業務を契機とする神経症であれ、業務上の事由による神経症(労災保険法第一条)であれ、侵害される権利及び発生する不利益は同一であり、また、労災保険法上の請求は「自由及び幸福追及に対する国民の権利」の行使と解され、請求により実現しようとする内容においても両疾病間に相違点はない。さらに、業務を契機とする神経症と業務上の事由による神経症は、いずれも業務と密接に関連して発生した疾病であり、事実上の因果関係においても相違点はない。すると、両疾病における唯一の相違点は被災労働者の性格となる。

ところが、すべての国民は法の下に平等であり、人種、信条等により差別されない旨が憲法第一四条第一項において宣言されており、性格は同規定における信条に包含されるものと解され、「性格が主因」との判決理由は同規定に違背することとなる。しかし、同規定は、合理的理由のない差別を禁ずる趣旨の規定であるとの解釈がなされており、「性格が主因」との判決理由が合理的であるか否かについて述べることとする。

第一に、「性格が主因」の意味するところは、業務以外の契機により、いずれ、神経症が発生するであろう可能性を示すものと解されるが、同時に、神経症が発生しないであろう可能性も示しており、神経症が発生しないであろう可能性の存する範囲内において不合理が生じ、全体として不合理であるといえる。

第二に、統計学的な経験則(正規分布)からみて、性格の寄与率が五〇パーセント近傍の事例が最も多く、その五〇パーセントの地点において線引きをし、業務上の疾病であるか否かを決定すると、性格の寄与率が五〇をわずかに越えると不支給となり、性格の寄与率が五〇をわずかに下回ると完全な給付となり、五〇パーセントの地点におけるわずかな差異が給付内容の大きな違いとなって現れ、著しい不合理となる。

第三に、性格と業務の相対的な比較は具体性のある判断でなく、抽象的な概念の比較判断は荒唐無稽であり、裁量権の範囲が広く、合理的でない。

第四に、「性格は主因でなく、業務が主因」であると保険給付され、労災保険法が目的とする内容が実現されることになるが、現実の医療内容をみると、疾患者の「性格が主因」であることを前提としており(精神分析等)、「性格は主因でない」として給付を実行するにしても(労災保険法第一三条)、現実の給付を行うことができず、矛盾する事態が発生する。

第五に、神経症の発生原因は性格の内的要因と環境の外的要因の複合的原因であるとの医学的知識は、医療に指針を与えるための一つの考え方であって、いわゆる仮説であると認識される。仮説の法則に基づき「性格が主因」と判示しても、それは、砂上に建立された楼閣であって、実体のない空想上の判断である。

第一から第五までを総合してみると、「性格が主因」との判決理由に合理性はない。

第四点 労災保険法の解釈について

疾病が神経症であるとき、控訴裁判所の労災保険法の解釈は誤ったものである。

控訴裁判所の法解釈は、同法第七条第一項の「業務上の疾病」とは業務と相当因果関係にある疾病であり、疾病が神経症であるとき、相当因果関係の判断は業務と性格とを相対的に比較して主原因を特定する判断である、という趣旨の解釈である。この解釈に対して上告人の解釈を述べ、その合理性を明らかにし、控訴裁判所の解釈は不合理な点が多く、論理的な理解には耐え得ない解釈であることを明らかにする。

(一) 上告人の法解釈

神経症を請求原因として労災保険法上の請求があったとき、被災労働者の性格のあら捜しをし、「労働者本人の性格が悪いから」を理由に請求を棄却するのではなく、「精神的苦痛を感ずるような職業を何故に自ら選択したのか、また、精神的苦痛を感ずる職務であるなら、何故、回避しなかったのか」の疑念のもと、請求人に釈明を求め、合理的な釈明がない場合は労働者自身の重大な過失を理由として、労災保険法第一二条の二の二第二項の規定を適用すべきであり、業務上の神経症とは業務と事実上の因果関係の存する神経症である、と解釈するものである。

この解釈が合理的である根拠は、以下に述べる通りである。

第一に、職業の選択は労働者自身の自由な意思に基づくものであり(憲法第二二条)、職務内容も労働条件の明示により事前に明らかにされるため(労働基準法第一五条)、職業や職務内容が自己に悪影響を与えるか否かは労働者自身が判断することができ、また、疾病の特徴からみて労働者自身が判断すべきであること。

第二に、疾病の特徴からみて、通常、事業主による疾病発生の予見には困難性を伴うこと。

第三に、右解釈は労働者を個人として尊重し、被災労働者の人格を肯定した上で、自己の健康の管理責任を問うものであるから、憲法第一三条及び第一四条第一項の規定に抵触しないこと。

第四に、「重大な過失」の判断は「性格が主因」の判断に比べればより具体的であり(前者が注意力を問うのに対し、後者は注意力を含めた全人格を問うものであるため)、争いが少ないこと。また、被災労働者の人格を尊重した上での請求の棄却や給付制限であるから、請求人の不服が少なく、争いが長期化せず、迅速な救済を目的とした労災保険法の趣旨に適合すること(同法第一条)。

(二) 控訴裁判所の法解釈の不合理性

控訴裁判所の法解釈が不合理な点は、上告理由の第二点の(二)において既に述べた不合理の他に、以下に述べる法体系上の不合理がある。

第一に、相当因果関係の概念は、保険料の負担が事業主であることを理由付けるために導入された概念と思われるが、中小事業主や一人親方における保険関係は、労働者が保険料を負担することに相当しており(労災保険法第四章の二)、論理的な矛盾が存在する。

第二に、労災保険法の制定の趣旨は、労働安全衛生法における事業主の安全衛生の配慮義務にもかかわらず、不測の災害が発生することがあり、やむなく発生した災害に対する事後的な救済制度と解される。一方、労働安全衛生法の趣旨は、例えば、技術者が輸送機械を設計する際、最悪の事態を想定して設計し、二重三重の安全システムを配備することと同様の趣旨と解される。ところが、控訴裁判所の法解釈によると、合宿訓練の受講者一般に精神疾病が生じない程度の配慮でよいこととなるが(控訴裁判所が採用する医師の鑑定意見の内容、及び、判決書全体から受ける印象)、労働安全衛生法上の配慮義務を履行するには、受講者一般を基準にするのでなく、災害が発生しないよう最悪の事態を想定し、「性格が主因」と認定されるような者が受講するであろう事を想定して訓練プログラムを作成し、安全衛生のシステムを配備すべきである。すなわち、控訴裁判所の法解釈は、労働安全衛生法上の義務を履行せずに発生した神経症であっても、「相当因果関係」の名の下に保険給付を行わないとする解釈であって、関係法令の体系的理解において不合理である。

第五点 労災保険法の適用について

「性格が主因」との認定の過程において、証明されていない事実関係を根拠とし、考慮すべき事実関係が考慮されていない等、事実認定に関して違法な点があり、控訴裁判所の判決は法律を適用したものではなく、審理不尽による理由不備の違法がある(民事訴訟法第三九五条第一項六号)。

事実認定に関する違法な点は、以下に述べる通りである。

第一に、上告人の性格特性なるものを列挙するが(〈証拠略〉)、列挙する性格特性が本件疾病の発生に関与しているとの証明がない。列挙する性格特性が本件疾病の発生に全く関与していなければ、列挙することは無意味である。(上告人の性格については、性格検査の結果を書証として裁判所に提出している(〈証拠略〉「LIFOスコアボード」)。この検査は二〇〇項目程の質問事項に対する回答に基づき作成されたもので、合宿訓練時の上告人の性格を客観的に示すもので、重要な書証と思われる(〈証拠略〉)。)

第二に、上告人以外の受講者は合宿訓練を肯定的に評価し、また、合宿訓練による精神疾患の発生率がゼロであると認定するが(〈証拠略〉)、各種のトレーニングは多数の受講者に肯定的変化をもたらし(「集団訓練終了時に、参加者の2/3が肯定的変化を示す。・・・しかし、その後の数か月で、これらの効果は徐々に実質的に消失する。」(リーバーマン、ヤーロム、ミルズ、1973))、少数の受講者には心理的損傷を与えるとの研究報告がなされているのであって(〈証拠略〉)、控訴裁判所の右認定事実は既知の医学的知識であり、右認定事実から「上告人の性格が主因」との結論を導き出し得る医学的経験法則は存在しない。そもそも合宿訓練の受講者が次々と精神障害を惹き起こし、受講者達が盲目的に従う事態は想像しがたい。

第三に、印象フィードバック等の相互批評には有意義な目的があり、人格攻撃にならないよう配慮されていた旨を認定するが(〈証拠略〉)、印象フィードバック等の目的が自己発見や自己概念の拡大のみにあるなら、批評の記載された短冊は本人に手渡すだけでよく、短冊の内容を班のメンバーに読み聞かせることと矛盾している。さらに、短冊の作成が無記名であること、短冊は読み上げた直後に破り捨てること、フィードバックサークルの批評内容がマジックインキで修正されていること等の主張事実に対する裁判所の認定と評価が欠落しており、違法である(民事訴訟法四二〇条第一項九号に相当)。

第四に、鑑定意見を述べる医師は集団精神療法の専門家でなく、また、専門的知識もないことは明白であり、専門的意見を述べる立場にない者である。また、合宿訓練三日目以降の事実関係を知らされておらず(〈証拠略〉)、控訴裁判所の採用する鑑定書、意見書は違法な資料である。

第五に、控訴審判決書が引用する第一審判決書をみると、コースヒストリーにおけるイラストの内容について、「リーダーになろうとしたにもかかわらず、他の班員から無視されて挫折している」と認定するが(〈証拠略〉)、認定の根拠である原告本人調書をみると、「挫折」はイラストに対する安井コーディネーターの寸評であって(〈証拠略〉)、事実関係がねじ曲げて認定されており、違法である。なお、不注意により、記載すべき文言が欠落することはあるが、「挫折」という文言が不注意で紛れ込むことは考えられない。

第六点 神経症以外の疾病について

神経症以外の疾病について判決理由が示されておらず、民事訴訟法第三九五条第一項六号の上告理由に該当している。控訴裁判所は本件疾病を神経症と仮定して判決理由を示すが(〈証拠略〉)、神経症以外の疾病については判決理由が全くなく、同号規定の「判決に理由を付せす」に該当している。

第七点 判決理由中の事実認定が相互に矛盾している。

控訴裁判所は「合宿訓練は単なる誘因」とするが、その合宿訓練に対する控訴裁判所の認定は、「合宿という人為的に設定された非日常的環境のもとで、普段は気付かない人間関係上の問題点を他者からの指摘により気付かせ、相互啓発を通じて自己発見をする機会」であり(〈証拠略〉)、その一方において、合宿訓練における相互に指摘する行為は「人が職場での人間関係をめぐって直接間接に経験する種類、程度のもの」と認定し(〈証拠略〉)、両者の本質的な意義は相互に矛盾している。判決に直接影響している事実認定が相互に矛盾しており、民事訴訟法第三九五条第一項六号における判決理由のそごに該当している。そもそも合宿訓練における体験が通常の職場において体験できる種類、程度のものなら、わざわざ合宿訓練を実施する必要がなく、この点においても、控訴裁判所の認定は矛盾している。

第八点 訴訟手続上の違法性

(一) 控訴裁判所は判決に影響し得る事実関係が存することを認識しており(〈証拠略〉)、にもかかわらず釈明権を行使せず審理を終結させたのは、民事訴訟法第一二七条に違反している。

また、上告人は集団精神療法の専門家による鑑定を申立てたが(第一回口等弁論)、これに対し控訴裁判所は合議を行わず、民事訴訟法第二五九条の規定に違反している。なお、集団精神療法の専門家による鑑定意見が判決に影響するかについては、受講者を事前に選別すべき旨を提唱する専門家、あるいは、トレーニングに批判的な専門家であれば影響するものと思われる。

(二) 判決に影響する最も重要な事実関係は、トレーナーがテーブルの使用を禁止した行為に関することで、この事実に対して、上告人は、受講者達がテーブルの使用を始めるとトレーナーはこれを禁止し、激怒しての応対がお芝居である旨を主張しているのである。もし、このような事実がないと上告人の異常性が証明され、もし、このような事実があるなら合宿訓練の異常性が証明されるのであるから、判決に影響する重要な事実関係と思われる。

この主張事実に対して、被上告人は、班のまとまりを促す目的でトレーナーが冷淡な態度をとる事実については争っているが(〈証拠略〉)、別の目的については争っていない(〈証拠略〉「〈3〉トレーナーの介入」に対し、同日付けの被控訴人の答弁書の内容)。また、受講者の感想文(〈証拠略〉)のうち「新卒合宿訓練に参加しての感想」と題するものを見ると、「トレーナーの存在が無気味であった」との記述があり、右感想文の作成者は、合宿訓練当時、合宿訓練を実施する人事部教育課に配属されていた人物であるから、トレーナーが何等かの目的をもってグループに介入し、受講者達の心理を巧みに操るような行為が有った疑いがある。したがって、民事訴訟法第一三一条一項五号の規定を適用して、合宿訓練の資料の提出を求める等すべきであり、控訴裁判所は必要な釈明権の行使を怠っている。なお(証拠略)の提出は合宿訓練の資料を変造して提出する行為に相当している(民事訴訟法第四二〇条第一項六号)。

第九点 控訴裁判所の判示する内容は社会通念に反する

上告人は希望して合宿訓練を受講したものでなく、また、合宿訓練の内容も全く知らされずに受講したのであり、社会的な常識や民法の事務管理の規定(民法第六九七条)からすれば事業主に落ち度があるのであって、上告人の性格を詮索し、上告人に非があるとするのは全く身勝手であって、社会的な常識に反する。

第一〇点 調書の不実記載について

調書の内容に不実記載の部分があり、上告人が異議を申立てたにもかかわらず、再度の証人尋問もせず、結審したのは審理不尽である。

調書が作文されていることの根拠として、記載内容の不合理、不自然な部分を示すこととする。

第一に、証人調書速記録(〈証拠略〉)を見ると、テーブルの使用を禁ずる理由についての尋問に対し、障害物をなくし率直に話し合うためとの趣旨の証言であるが、それならば、テーブルは使用できない旨をあらかじめ受講者に伝達しているはずで、当該証言の後、右疑問についての尋問がなされるのが普通である。ところが、当該証言の後の尋問は「それはトレーナーとして、すべてのトレーナーが取る行動だということですか。」であり、不合理、不自然である。

第二に、(証拠略)を見ると、フィードバックサークルの批評内容について裁判長より主尋問があったにもかかわらず、(証拠略)をみると、被告側から全く同じ趣旨の反対尋問がなされていることになっている。同じ尋問があると答弁する側は「先程、答えましたが?」と反問するのが普通であり、「訴状に添付してある資料のとおりです」との調書の記載は不合理で(〈証拠略〉)、調書が作文されていることは明らかである。

なお、第一審裁判所の第五回口頭弁論において、林義正の聴取書の内容の信頼性を争うため、証人尋問を申立てたが、被告指定代理人(浅野晴美と思われる。)は信頼性を自ら否定し、証拠調べは必要ない旨の陳述をしたものである。にもかかわらず、右聴取書が証拠として採用されており(〈証拠略〉)、職権主義の行政事件であるにしても採証法則上、不可解であり、調書の記載に疑問が持たれる。

三 結言

前述致しました上告理由につき、ご判断下さいますようお願い申し上げます。「成程」と納得できる判決理由をお願い致します。

上告人のこれまでの経験からすると、裁判所の合議体を含め、日本人が集団化すると責任の所在が不明確となる感がします。互いに依存し合い、個人の責任感が無くなり、場合によっては、心の中で互いに責任のなすり合いをすることも有ります。このような相互依存の状態では、自立心を持った深い思考は失われてしまい、裁判官は医師の意見に依存し、医師も多数者側の声に依存し、孤立しないことの代償として深い思考が失われるのでしょう。ユングは次のように語っています。「百の聡明な頭脳が集まって集団をつくると巨大な白痴ができあがる。なぜかといえば、個人はみな他者の他者性によって束縛されるからだ」(附属書類)。

(附属書類)

一 集団精神療法に関する資料

(添付書類省略)

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